「ずばぬけた精神力」でメダルを引き寄せた。東京パラリンピックは31日、ボッチャ個人準決勝で杉村英孝選手(39)が勝利し、銀メダル以上を確定させた。ボッチャ個人では日本人初のメダリストとなった杉村選手の“原点”は、子どもの頃に入所していた静岡市の医療施設にある。そこで家族よりも長い時間を一緒に過ごしてきた仲間たちと出会い、ボッチャを始めた。 【狙い通りにボールを転がして喜ぶ杉村英孝】 杉村選手の最大の武器は「精神力」だ。準決勝の相手は2012年ロンドン・パラリンピックの金メダリスト。互いに一歩も譲らぬ接戦でも表情一つ変えなかった。最終エンド、相手にリードされながらも最後に逆転勝ち。ガッツポーズを繰り返し雄たけびを上げた。試合後、「緊張しました。練習でやってきたことを生かせた」と表情をゆるめた。 緊迫した大会でも、場の空気にのまれることがない精神力。「それは施設での経験から養われたんだと思う」。かつて同じ医療施設で過ごしたボッチャ仲間の一人はこう語る。脳性まひの杉村選手は小学1年から18歳まで静岡市の医療施設で過ごした。 「施設ではいろんな人がいました。優しい先生、厳しい先生。食事の時には隙(すき)を見て優しい先生に『量を減らして』とお願いし、残さなくてすむよう苦手なものを減らしてもらうんです。いつ誰に声をかけるかが重要で、毎日、人間観察していました。杉村もボッチャに必要な観察力を、そこから得たんじゃないかと思うんです」 ボッチャに出合ったのは01年。静岡県内で初めてボッチャの大会が開かれることになり、18歳まで入所していた医療施設の指導員から声がかかった。大会は数週間後。急ごしらえのチームのメンバーは、角替(つのがえ)一孝さん(39)と深津和道さん(36)と杉村選手の3人。3人は同じ施設で一緒に過ごしてきた親友だ。 角替さんは脳性まひがあり、深津さんは先天性多発性関節拘縮症で下肢が動かしづらい。施設には小学1年から入り、自宅に戻るのは土日、正月、お盆の時期だけ。大部屋にあるテレビのチャンネル争奪戦、漫画の回し読み――。濃密な時間を過ごしてきた。 18歳になると、施設を出る。メンバーの家は県内ばらばら。このまま別れたくない……。また会うための場として、チームを存続することにした。施設の小さな体育館で、月に1度集まる。顔を合わせて近況を報告し合う貴重な時間でもあった。 その後、杉村選手は頭角を現し、パラリンピック・ロンドン大会と16年リオデジャネイロ大会では団体戦で主将を務めた。リオでは銀メダルを獲得した。 世界を舞台に戦う杉村選手を仲間たちは静かに見守ってきた。ニュースでその活躍を見ると「調子はどうなんだ?」と聞きたくなる。試合前には「頑張れよ!」と声をかけたくなる。でも、あえて連絡は取らない。「『ボッチャ代表の杉村』じゃなくて、僕たちにとっては『ひでちゃん』なんです。プレッシャーを感じず、息をつける場所でありたいから」(深津さん) 頂点をかけた決勝は1日午後6時25分。仲間たちは、ひでちゃんの帰りを待っている。東京パラリンピックが終わったら、いつもの穏やかな笑顔で練習に顔を出してくれて、特段はしゃぐ様子もなく、「取ったよ」。そう言って金メダルを触らせてくれるはずだ。【五十嵐朋子】
仲間と離れがたくチーム存続 ボッチャ決勝進出、杉村英孝の原点(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ
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