藤沢和雄師(美浦)「おかげさまで最後まで馬主さんに応援してもらい、終わることができる。これから暖かいシーズンになるから、(所属馬には)今後も頑張ってほしいね」
浅見秀一師(栗東)「長くやらせてもらいました。面白い仕事でした。周りの人にお世話になったし、有り難かった。これまで一番印象に残っているのは阪神JFの1、2着かな。(ヤマニンシュクル、ヤマニンアルシオンの)同一馬主でね。昨日のことのように思い出します。母系もいい馬で自分で選択してきて、(オーナーに)お願いした馬。なかなか思い入れ深いですね。(弟子の鮫島駿には)もうひと皮、ふた皮むけたら国内でも指折りのジョッキーになると思う。壁は厚いかもしれないけど、ずっと応援していくつもり。それから、これからも一ファンとして日本の競馬を応援します。コロナでこういう時代だけど、落ち着いたら競馬場に足を運んで歓声を上げたいですね」
堀井雅広師(美浦)「(定年まで)あと1年になってから、日めくりカレンダーで、あと何日とか数えてきたけど、それも終わりだね。よくここまでやって来られたよ。それも多くの馬主さん、うちの優秀なスタッフ、そして頑張ってきてくれた馬たちに支えられてきた。本当にありがたい。そりゃあ、思うところもあるけど、最後まで平常心で。あとは馬たちが無事で走り終えてくれることが一番。そして次の人にきちんと受け継ぐ。それがボクの最後の仕事だからね。それが終わって初めて、ホッとできるかな。とにかく今週は楽しみたい」
古賀史生師(美浦)「もともと競馬が、というよりは馬が好きで(競馬サークルに)入ったんだ。30年前からしたら、この中も変わった。馬の質や馬具だったりね。放牧で馬の出し入れすることも多くなったけど、何で自分の手元で調教しないんだろうと思う。これも時代の流れなのかな。俺みたいなアナログ人間には、ついていけないな。ちょうどいい辞め頃だと自分で思うよ」
高橋祥泰師(美浦)「今まで長くやらせていただき、よくここまで来られました。特に、このコロナで厳しい社会情勢の中、無事に終われるのが何よりですね。厩舎の礎を作ってくれた、開業当初にいた10頭が思い出に残っています。最初は8頭しか集まらず、父から2頭をもらって31歳で開業しました。その10頭がどれも活躍したのです。今思うと、あそこがうまくいったから、ここまで来られたのだと思っています」
柄崎 孝師(美浦)「これまでいろいろ花束を頂きましたが、(厩舎の)従業員からというのは一番うれしいですね。思ってもいなかったので、ビックリしました」
提供:デイリースポーツ
引退調教師が最後の週末に向けコメント 浅見師「面白い仕事でした」 - netkeiba.com
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