24年前の1998年8月22日。第80回全国高校野球選手権大会の決勝で横浜の松坂大輔がノーヒットノーランを達成し「伝説」となった。敗れた京都成章の左腕・古岡基紀は、時間とともに「屈辱」を「良き思い出」へと置き換えた。
「当時は最悪でしたけど、結果として良かった。ノーヒットノーランじゃなく1安打完封とかだったら、ここまで印象に残っていないと思う」
京都成章では1年秋に外野手から投手に転向。3年時の98年選抜に出場を果たしたが岡山理大付に2―18で大敗した。先発で3回途中8失点で右翼に回ったことで先発右翼だった田坪宏朗が打席に立てず。「夏、甲子園に行けなかったら、あいつと一生話すことができないと思った」といい、必死で夏も京都大会を制し連続出場を決めた。「自滅だけはダメ」と選抜の反省を生かし1回戦・仙台戦は粘りの投球。9回に4失点したが10―7で逃げ切り甲子園初勝利を挙げた。2回戦以降は「みんな格上」と無欲で自分の投球に徹したことで持てる力を発揮。決勝を含め全6試合計53イニングを一人で投げ抜いた。
多くの人にとってはこの夏だけが特別になっているが、実際には続きがある。神奈川県で開催された10月の国体で再び勝ち進み、決勝で横浜と再戦。1―2の惜敗だったが古岡自身は2安打。7回には適時打を放ち唯一の得点をたたき出して留飲を下げた。
中大から社会人野球のヤマハでもプレーしたが、11年に現役を引退。「もう野球はいいかな」と、しばらくは距離を置いていたが、長男が野球を始めると“虫”がうずき出し、今は小学6年の次男が所属する「浜松ドリームアローズ」のコーチを務め、主に投手を指導する。高校時代の仲間とは今も連絡を取り合っており“熱血指導”ぶりに「性格変わったな」と冷やかされ「確かに高校時代は熱い人間ではなかった。今は自分でも熱くなってきたのが分かる」と笑う。指導熱は帯びるばかりで「母校のコーチも(できるなら)いつかはやってみたい」と意欲満々だ。
甲子園には、あの98年夏の決勝を最後に訪れたことがない。「避けてるわけでもない。(行く)タイミングがなかっただけ」。息子2人が近い将来、甲子園に出場する可能性もあるだけに「アルプスで応援できれば最高ですね」とひそかに期待する。
子供たちに触発されたのか、自らも再びマウンドに立つようになった。昨年から満40歳以上で編成する「浜松クラブ」の一員となり、ヤマハでともにプレーし「浜松ドリームアローズ」でもコーチを務める同学年の絵鳩隆雄とバッテリーを組む。絵鳩は小学5年から中学3年まで松坂とバッテリーを組んでおり「松坂世代」は、今もやはり、切り離すことのできないフレーズだ。新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催中止となったが、昨年は「日本スポーツマスターズ」の全国大会出場を決めていた。「今なら松坂に勝てるんじゃないかな」と笑う。
現在はヤマハで電子楽器の新モデルの開発における日程管理などに従事。休日はコーチと忙しい日々を過ごす。それでも、夏になると高校野球は気になると「時間があればテレビで試合を見ています」。「高校球児の、あの一生懸命な姿は何ともいえない。僕もいい人たちにめぐり会い、いい思いをさせてもらった」。夏が来るたびに、色あせることのない特別な時間がよみがえる。古岡にとっては至福の時であり続ける。=敬称略=(吉村 貢司)
◇古岡 基紀(ふるおか・もとのり)1980年(昭55)11月22日生まれ、京都府宇治市出身の41歳。京都成章では3年時の98年春夏連続で甲子園出場。中大を経て社会人野球のヤマハで活躍。2011年限りで現役引退した。左投げ左打ち。
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【あの甲子園球児は今(18)京都成章・古岡基紀】クラブで再びマウンドに「今なら松坂に勝てるんじゃ…」 - スポニチアネックス Sponichi Annex
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